>  > 山口祐二郎が「ヘイトスピーチ」と「表現の自由」と「放送禁止用語」の関係を考える
ヘイトスピーチハンター・山口祐二郎のひとりごと

山口祐二郎が「ヘイトスピーチ」と「表現の自由」と「放送禁止用語」の関係を考える

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 5月24日。民族差別を違法とする、ヘイトスピーチ解消法が衆議院で可決。近く施行される。日本において、今まで現行法で対応できなかったヘイトスピーチ(差別扇動表現)を抑止する、初の法ができたのだ。
 これまで、批判されたり脅迫されたり街宣をかけられたり殴られたりしながらも、ヘイトスピーチに反対してきた私にとっては、法律ができたことは感無量である。
 そんな中で、日本国憲法21条で保障されている『表現の自由』の元に、ヘイトスピーチ解消法に反対をしている人も多い。ヘイトスピーチはいけないが、表現の自由は保障されなければいけない。今回はヘイトスピーチと表現の自由と放送禁止用語について考えていきたい。(文=山口祐二郎)


ヘイトスピーチ、ダメ、ゼッタイ(HDZ)


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写真はイメージです

 ヘイトスピーチとは人種、性的思考、性別などの、生まれついて変えることのできない、また変えることの非常に困難な属性、社会的弱者のマイノリティーを偏見、差別する表現行為である。

 例えば直接的な、強要、脅迫、猥褻、名誉、プライバシーを侵害する表現を人にして脅かせば罪になる。そこは表現の自由ではない。差別が良くないことなのは当たり前のことだ。ヘイトスピーチは表現の自由ではない。しっかり取り締まるべきである。

 もちろん取り締まる際には、きちんとした判断をしなくてはならない。


ヘイトスピーチ≠放送禁止用語


 だが、よくヘイトスピーチと表現の自由と混同されがちなのは放送禁止用語である。放送禁止用語とは、テレビなどのメディアで放送を禁止されている言葉のことだ。しかしながら日本では現在、法律に基づいて放送を禁止されている用語などは全然ない。放送禁止用語とはメディアが勝手に自主的に規制している用語ばかりなのが実情である。つまり、自粛しているだけなのだ。

 もちろん、上記で記したが直接的に人を脅かす表現は、表現の自由では保障されない放送禁止用語を用いた表現だ。しっかり放送禁止にするべき表現である。


意識や経緯が問題なのである


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法務省が作成したポスター

 表現の自由は尊重されるべき権利であるが、他者の人権を正当な理由なく破壊するものは取り締まるべきなのだ。表現の自由の範囲を越えた悪質なものについては例外なのである。

 しかし、事例を示す場合などにはあえてそういったものを出すことも必要だろう。例えば、ヘイトスピーチといっても、まだまだよく分からない人が多いだろう。講演や出版物でその際にはヘイトスピーチがどういうものかを配慮しつつ出して説明することになるだろう。もちろん、辛いと思う人がいたらいけないので、事前のアナウンスなどをしなければならない。

 ヘイトスピーチをする、意識や経緯が問題なのである。