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連載小説『死に体』

第52話 時の過ぎゆくままに

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──最後まで支えられない

──裏切ってしまいました

──全てを受け入れて、一緒になろう

 エトセトラエトセトラ......。グサグサグサグサっと心をえぐる鋭利な言葉が、綿々とヒカリの手紙には綴られていた。

 三行半。一言で、簡潔に表現すると三行半。

 ずっとわかっていた。ヒカリの後ろに男の姿があることを。

 その影に、気がつかないふりをしながら、目に見えるものだけを信じたまま、逝こうと思っていた。

 嘘も、ばれなければ嘘じゃない。

 だけど、そんなことは虫が良すぎたのだ。ずっと不安に思っていたことが、現実になってしまっただけのことだ。

 ただそれだけのことだ。ただそれだけの。

 まだ泣くな。

 彼女との日々。

 彼女の笑顔。

 呼び慣れた彼女の名前。

 彼女の声。

 声。

 だんだん遠くなっていく。

 チビと歩いた保育園の帰り道。チビと2人でニコニコしながら出かけたデパート。チビと交わした数々の男同士の約束。

 自分勝手なオレは、まだ心の整理が出来そうにもなかった。

 それだけ、ヒカリと英須がオレにくれたものは、かけがいのないものばかりだった。

「指印、薄いから押し直せ」

 いつものことだった。コイツという奴は、こういう奴だった。

 人の気持ちを微塵も虜(おもんぱか)ることもせず、いけ好かない担当がいけ好かないことをいつものように言いにきた。

 慣れはしない。一切慣れはしないけれど、こんな奴にイチイチ腹を立てても仕方がない、といつもは自分に言い聞かせていた。だが、今日ばかりは、オレの虫の居所が悪すぎた。

「押しとるやんケッ!」

 声を荒げた。

「薄いからゆうとるのだろうがあっ!」

 案の定、売り言葉に買い言葉になった。もう引き返すことはできなかった。さんざん言い合った後、オレはおもむろに立ち上がった。

「どこが薄いか見してみんかい!」

「これ見てみんかいっ!」

 怒鳴りつけたら、思いっきり怒鳴り返された。来信の受領表を、鉄格子の空間に作られた食器孔から乱暴に差し入れられた。

 その差し入れてきた受領表を持つ、いけ好かない担当の右手をオレは自分の左手でしっかりとつかみ、後ろ手で隠し持っていたボールペンを手の甲めがけ突き刺した。

「グキャヨウッ!」

 変な悲鳴をあげながら、いけ好かない担当は手の甲を押さえて、床を転げ回った。

 ボールペンを握り締める拳には、鈍い感触が生々しく残っていた。

 四舎二階に非常ベルが鳴り響いた。

 目の前でジタバタと転げ回るいけ好かない担当に、オレは血に濡れたボールペンを向けながら言った。

「おい、アホよ。もう一回押したろかい」

 どの房の住人も野次馬根性丸出しで、事の成り行きを窺っているのがわかった。

 荒しい足音が近づいてくる。

 笑いたい気分だった。笑い狂いたい気分だった。

 扉が解錠され、特警が土足で雪崩れ込んできた。

 オレの人生なんてどこまでいってもこんなもんだ。

 笑けてきて仕方なかった。






第三章 完