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工藤明男コラム

工藤明男が語る「六代目山口組若頭 高山清司氏に学ぶ、リスクマネジメント術」

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うるさい古参を一瞬で黙らせた、ある「出来事」


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銀色に輝く山口組総本部のガレージ @google 2016

 最近、立て続けに名古屋の友人と会う機会があって、彼らから聞いた六代目山口組若頭 高山清司氏の話が印象的だったので、記録として書いておきます。

 日本中が愛知万博で盛り上がっていた、2005年の8月頃の話です。この年の4月に弘道会ニ代目を継承して山口組直参に昇格した高山氏でしたが、そのわずか4ヶ月の8月には山口組ナンバー2である若頭に昇進を果たします。このとんでもないスピード出世に陰口を叩く人間もいたそうですが、新若頭となった高山氏は、彼らを一瞬で黙らすような、ある通達を出したといいます。

 それは、実話雑誌のグラビアなどで有名な山口組総本部(神戸市)のガレージの内側に掲げられていた『山口組組員としての心得』が記された看板を撤去させる、というものでした。

 なぜ高山若頭が看板を外すように提案したかというと、『看板は司忍氏がガレージ当番の若い組員に生き方を指導するもの』→『本家親分と末端組員とのあいだで意思疎通ができる証拠とも解釈できる』→『末端組員の犯罪に対して本家親分の使用者責任が問われかねない』という理由からだったからだそうです。

 この出来事もあって、高山若頭には切れ者というイメージを誰もが抱いた、といいます。

 それと、もうひとつは情報の徹底管理。高山氏は、とにかく情報の管理に気を配っていたらしいです。とくに総本部の中では、「盗聴器がしかけられているかもしれないから、よけいな事はしゃべってはいけない」と囁かれていたほどだったそうです。

 実際に、高山氏に悪意のある内容を話していた有力二次団体の大幹部が、その音声をテープに撮られ、おおごとになった、ということもあったという噂があります。

 そうこうしていくうちに、高山若頭の存在は、組織の中で特別なものに変わっていったのだとか。

 三代目の頃から六代目時代に至るまで要職を務めた岸本才三氏(2014年没)は、六代目時代の執行部など呼び捨てで呼んでいたくらいの実力者だったそうですが、高山氏にだけはとても気を使っていたそうです。

 2007年に自らの引退を決め、その事をすでに引退されていたある親分に電話で告げたときのことです。まず、その親分の第二の人生を激励した岸本氏は、最後に、「引退した者同士が勝手に連絡を取り合うとカシラ(高山氏)にいらない誤解をまねく可能性があるから、この電話を最後に連絡を取り合うのをやめよう」と言い、事実、亡くなるまでその親分とは連絡を取らなかったと聞きます。

 あの岸本の親分さんですら、そこまで気を使わなくてはならなかったのかと驚くのと同時に、山口組という大組織を統率していくためには、そこまで厳しくリスクマネジメントしなければならないのかと痛感させられました。

 高山氏なら、実業の世界でも、どんな世界でも、間違いなく成功されたでしょうね。


 (文=工藤明男)


【工藤 明男 (くどう あきお) プロフィール】
東京都生まれ。作家。杉並区出身の関東連合元リーダー。IT・芸能の分野で活躍。経済界のみならず政界にも幅広い人脈をもっており、現在は複数の企業の筆頭株主として、主に投資と企業コンサルタントの仕事を行なっている。警察当局から関東連合の資金源と目されてきた。表舞台に顔を出したことはない。