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連載小説『死に体』

第43話 ここではないどこかで、オレとではない誰かと、幸せになってほしいと心から祈った

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連載第43回 第三章(八)

文/沖田臥龍

【ここまでのあらすじ】覚せい剤に溺れ、罪のない3人もの命を殺めた元ヤクザの藤城杏樹。一審で死刑判決が下されると、幼なじみの兄弟分龍ちゃんや恋人のヒカリは必死になって控訴をすすめるが、杏樹は死刑を受け入れることを選択する。そして死刑判決が確定した杏樹は、多くの死刑囚が収容されている☓☓拘置所内の四舎ニ階、通称『シニ棟』へと送られる。夜になっても決して消されることのない天井の蛍光灯を見ながら、杏樹はこれまでに犯してきた罪の記憶に苛まれていた。


「はい、新聞なあ」

 担当の声で、遠い記憶から現実に引き戻された。過去への回想の旅路を、担当の声が遮断した。

 オレは昨日、交付された新聞を差し出し、代わりに今日の新聞を受け取った。

「めちゃめちゃさぶいでんな」普段は、あまり口をきかなかった交代担当だったが、土曜日という免業日が心を穏やかにさせてくれているのか、オレの口からも人間らしい軽口が気安く出てきた。

「なんや今日は雪ふるらしいでえ。ごっつい今晩冷え込むらしいから、藤城も風邪引かんようになあ」担当のわずかな言葉の中にも、気遣いのある温かみが込められていた。

 人と人との関係とは、こういうものなのかもしれない。

 こちらが愛想よく話かければ、向こうもそれに答えてくれる。そうなれば、心は温かく満たされていく。

 オレのいる房の前から立ち去ろうとする担当の背中に、オレは声をかけた。

「雪ですのん? どうりで寒いはずですわ」

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 あの夜の雪を、もう彼女は覚えていないだろう。覚えていたとしても、それは最悪な記憶として、トラウマになっているかもしれない。

 いっそのこと、オレのことはすべて──思い出ごと──忘れてしまって欲しかった。

 今回のオレの事件を知った時、彼女はなんて思っただろうか。こんなに落ちぶれ果てたオレを見て、彼女はなんて思うだろうか。

 オレの人生なんて笑えやしない。本当に笑えやしない。

 でもあの夜から、ずっと不幸だったかといえばそうではなかった。

 オレは大がつくほどのバカだから、自らそれをぶち壊してしまったけれど、幸せな時間だってオレにもちゃんとあった。

 短い間だった。彼女と暮らした20歳の頃の3年間には、到底及ばないくらい短い時間だった。でも、彼女との3年の思い出がすべて失われてしまっても、ヒカリと、そして英須と過ごした記憶だけは、誰にも奪われたくなかった。

 たぶん、その記憶が心の中にしまってあるから、オレはかろうじて人間として生きていけるのだと思う。

 今夜、降るという雪を、彼女もどこかで誰かと見上げたりするのだろうか。

 どうか温かい場所で、心安らかに雪を眺めていてほしい。そんなことをオレは静かに思った。




写真はイメージです