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連載小説『死に体』

第42話 裏切ったのは女のほうだと当時は思っていた

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連載第42回 第三章(七)

文/沖田臥龍

【ここまでのあらすじ】覚せい剤に溺れ、罪のない3人もの命を殺めた元ヤクザの藤城杏樹。一審で死刑判決が下されると、幼なじみの兄弟分龍ちゃんや恋人のヒカリは必死になって控訴をすすめるが、杏樹は死刑を受け入れることを選択する。そして死刑判決が確定した杏樹は、多くの死刑囚が収容されている☓☓拘置所内の四舎ニ階、通称『シニ棟』へと送られたのだった。


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 同じ朝が、「こうまで違うか!」というくらい、金曜日と土曜日のギャップは素晴らしい。一歩間違えれば、その日が命日となってしまう金曜の朝と、"殺し"が実行されることのまずない土曜の朝では、スズメのさえずりさえも、なんだか陽気に聞こえてくる。

 どの住人もそれは同じらしく、いつもはギスギスとしたオーラを醸し出し、フロアいっぱいに重たい空気が沈殿しているのが常なのに、この日ばかりは、放たれるオーラもなんだか柔らかい。

 夜勤担当の刑務官を捕まえては、冤罪を熱弁するのがクセになってしまっている横山のやっさんのしわがれ声も、普段なら至極、耳障りでうっとうしくこびりつくけれど、今朝はほのぼのと拝聴し、苦笑いを浮かべる余裕まで生まれてしまう。

(......また言ってることが違ってるよ)と、横山のやっさんの誇大妄想を遠くに聴きながら、襟を正して般若心経を唱えた。

 般若心経を唱える日が、少しずつ増えていく。

 冥土へと旅立ってしまった人、旅立たせてしまった人のために、オレは何もできないけれど、せめて月命日には、般若心経を故人のために唱えることにしていた。みどの月命日にも、浅田のオッサンの月命日にも、そしてこの手で殺めてしまった人達の月命日にも、オレは一人でボソボソ唱えた。

 唱え終わった後、あの日から12年の歳月が、流れたのかと改めて思い、時の流れの早さにしばしオレは戸惑った。

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 12年前の今日。オレは初めて人を殺した。

 その殺しで10年の刑を務め、出所後、また新たに2人を殺めてしまい、こうしてここで首を括られることになったわけだが、いまだに信じることができない時がある。

 泣き虫で、人よりも甘ったれで、いつも母のスカートの裾を握りしめていたオレが、ぬいぐるみを抱いて寝ないと眠れなかったこのオレが、3人もの人を殺めてしまったということが、どれだけの月日が経っても信じることができなかった。むしろ、月日が経てば経つだけ、なにかの間違いなような気がして仕方なかった。

 12年前。

 あの日も確か土曜日だったと思う。最悪の夜だった。最悪の思い出として、後の人生に残ってしまった。

 当時、同棲していた彼女は、その日の1週間前から実家へと帰っていた。

 オレに何が足りなかったかといえば、もちろん多くあるけれども、一番は"我慢する"ということだったかもしれない。ひとつが駄目になってしまうと、我慢して踏ん張ってみせることがオレにはできない。これまで積み上げてきたもの、頑張ってきたことが、たったひとつの失敗や、少し思い通りにいかなかったというだけで、すべて破壊してしまう癖があった。破滅させなければ気が済まない癖まであった。結局、我慢が足りないのだ。

 ささいなことが重なって、オレに心底、愛想を尽かした彼女は、一切の未練など持たずに実家へと帰っていった。これで確か4度目だったと思う。前回の時に最終勧告を言い渡されていたので、オレは、もうこれで終わってしまったと絶望的になっていた。

 若かったし、随分とバカだった。

 その彼女とは、17歳から20歳までの3年間を一緒に暮らしていた。ケツの青いガキがよく陥ってしまうように、(彼女以上の女性などこの世に存在しやしない!)という幻想にオレもどっぷりと陥り、途方に暮れてしまった。そこからのオレはやぶれかぶれとなり、取り返しのつかない事件を犯してしまった。

 家の中が上手くいっていなければ、男は外で思いっきり働くことができないという。もしも、彼女と上手くいっていれば、危っかしいオレの性格も破綻することなく上手くすり抜けていたのだろうか。