>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その31 ~他山の石~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その31 ~他山の石~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


中級指揮官の不在


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写真はイメージです

 依然として六代目山口組の組員数と威厳が低迷を続けている。やらなければやられてしまう世界で、六代目山口組は沈黙を続けている。国内各地で、神戸山口組と六代目山口組組員のあいだで暴力事件が起こることはあるが、それはあくまでも日常的な街場の喧嘩レベルの話であって、指揮系統に沿った組織としての抗争ではない。

 世論は、六代目山口組からの離脱や移籍が続く限り、神戸山口組優勢と位置づける。こんな状況の中で、現在の六代目山口組内に残留している組員たちは、理由はどうあれ、組織に対しての見事な忠誠心を持っていると言えるだろう。

 もっとも離脱や移籍組が不心得者というわけでもない。歴史の分岐点で、我が道を選択するという行為──それ自体を否定することは誰にもできない。とはいえ、世論的にも形勢不利とされたこの状況下でも六代目山口組に在籍する組員たちは、それぞれが運命共同体であり、一心同体である、というレベルに達しているといえるのではないだろうか。 

「会、一家、組とはそもそもそういうものである」という人もいるだろうが、話はそれほど単純なものではない。直接、盃を交わしていない相手でも敬意を持って接したり、時には懲役を覚悟で行動したりしなければならない、という心境になるまでには時間と訓練が必要になってくる。たとえば直系団体の若衆で言えば、別の直系団体の親分と親子盃を交わしていないことは当然である。しかし、定例会の駐車場等では、別の直系団体の親分に対して、あたかも自分の親分同様に対応しなければならない機会も多い。しいて言えば、その直系団体の親分は、"おじさん"であるが、自分と直接関係のある"叔父貴"筋とも違うのである。これが組織というものが育んだ世界観とも言える。

 もっと言えば、上層部が勝手に決めた人事によって、盃関係にない上位者を"おじさん"と呼ばなければならないのである。だが、ある日、初めてあった人間に対し、突然「この人に対しても、自分の親分と同じように対応しろ」と言われても、「自分の親分はひとりだけです」と言いたくなるのではないだろうか。「組織というものは、そういうものだ」というのは正論だが、たとえば「初対面の40代の直系組長に対して、70代の直系組織の幹部が本心から敬意を持って接することができるか?」といえば、人間心理がそう簡単に割り切れるものではないことは理解していただけるだろう。別の直系団体の組長に対しては、あくまでも"よその、偉い人"としての対応であり、親分子分のそれとは違うのが本音である。

 だが、現在の六代目山口組に残留する組員たちは、たとえそれぞれが直接の盃を交わしていなかったとしても、「ファミリー」としての強い絆を築いているといえる。ひとりひとりがそれぞれの意志と立場で六代目山口組の代紋を掲げているといえる。そこには勝ち馬に乗ろうというスケベ心や打算はない。組員数は全盛期よりも減少したとは言え、山口組というひとつの集団として、これまで以上の団結力を持ち合わせているのではないだろうか。それは背水の陣であり、崖っぷちの状況なのかも知れないが、いわゆる、火事場のくそ力なるものが発揮されてもおかしくない状態でもある。それらしく言えば、「男の意地と心意気の見せ場」であろうか。

 とはいえ、大きな懸念材料があることも事実である。現在の六代目山口組にとって足りないものは若いリーダーである。それは個性ある若きリーダーの不在ともいえる。

 名古屋支配管理体制時代に、名古屋一派(現在の六代目山口組の主力)は、山口組内でリーダーシップのある個性派を次々と破門、絶縁、除籍処分にしてきた。名古屋支配を浸透させるべく、異を唱えるどころか、正直な意見を述べようとする者まで追放してきた。

 弘道会を中心とした名古屋一派が、六代目山口組として本格的に東京進出を開始した頃、名古屋から発せられた"天の声"は「(東京で)新しい人材はいらない」「事務所とシノギだけがあればいい」であった。「人材」という「個性」を新しく組織内に加えることによる混乱や反発を、名古屋一派は何より嫌っていた。だが、身体が資本のヤクザ暴力団である。個性という新しい人材の供給不足は、企業でいえば、設備投資や人材育成を怠ることと同じことである。そして、その企業は、必ず滅びる。

 分裂騒動勃発時から慢性的な人材不足に陥っている六代目山口組が現在の衰退状態を招いたのは、名古屋支配管理体制時代の過度な人材粛清と、新しい人材育成を嫌ったことが大きな原因だろう。組員の離脱、組織の分裂のあるないにかかわらず、時間とともに組織力が低下することは誰の目にも明白だったのかもしれない。そして、離脱した神戸山口組の面々にとっては、いずれ訪れる組織力低下が見え見えだった六代目山口組執行部の舵取りに、将来的不安と嫌悪感を感じてならなかっただろう。これも、ひとつの離脱分裂理由である。

 しょせんはヤクザとヤクザがやりあっているだけの話なのかもしれないが、日本最大のヤクザ暴力団・六代目山口組の離脱分裂の状況は、一般社会の団体や企業にも当てはめて考えることができる部分が多々ある。設備投資の必要性、人材育成の必要性、そして、人員の個性と次世代を担う若きリーダーの重要性。日常の企業活動や企業努力もさることながら、経営/運営/統率といった面で参考になるところも多い。ヤクザ組織ですら、何かを怠るとたちまち組織力が低下してしまう、と解釈すれば分かりやすいだろう。

 さらにいってしまえば、効率的で強靭な組織にするため、権力の一元化、集中化を目指していたつもりが、いつの間にか権力の独占という甘い罠に陥ってしまうこともある、ということだ。もうヤクザの時代ではないと一笑するよりも、見るべきところはしっかりと見ておくべきではないだろうか。

 現在の六代目山口組は、組員ひとりひとりが持つ危機感によって、強い団結力が芽生えたと言える。しかし、もしも現在の六代目山口組に、次なる大々的な移籍や離脱騒動が勃発した時は、組織論から言えばもう組織としての機能力も体裁もすべてが崩れてしまうだろう。六代目山口組とは名ばかりで、実質的にはもう山口組とは異なる組織として誰しもが認識しなければならない悲惨な状況を招いてしまうかもしれない。名古屋式の支配管理体制が生んだ弊害が、生みの親である名古屋一派、そして、現在の六代目山口組をも苦しめようとしている。世論は、そして一般社会は、この魔の因果を少しでも知識と経験に転換させて、それぞれの分野で同じ苦境を招かないよう、持って他山の石とすべきだろう。


(取材/文 藤原良)