>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その30 ~50年越しの宿願~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その30 ~50年越しの宿願~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


山口組の「叶えなければならない願い」


 離脱分裂により痛手を負った六代目山口組では、組織再編成が急務となった。だが、組員たちの離脱、移籍、流出がおさまらず、過度な人材不足という現状に陥っている。この状態のままでは組織の再編成は非常に困難である。

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『荒らぶる獅子第9巻 実録山口組四代目竹中正久』竹書房

 組織再編成の一環として山口組の歴史の中でも超名門とうたわれた直系団体を復活させたりもしたが、その復活の経緯には怪しい点があり、名跡を復活させたことによる成果は期待以下であったことは周知の事実である。

 さらに、マスコミではあまり報道されないが逮捕事件も多々あり、社会不在となった六代目山口組系列団体の組員が多くいる。また、直系組長の死亡事案も起き、それに伴った組員の減少もみられた。離脱分裂が勃発してからの六代目山口組とってはまさに波乱の情勢が続いている。

 そんな中、マスコミ等でさらなる波乱と混乱が予想されていた「事始め」が12月13日に神戸山口組(納会)と六代目山口組の双方で無事に開かれた。両一家一門様に於かれましてはまことにおめでたく、お慶びを申し上げる次第である。

 さて、一部マスコミ等では離脱行動のピークを事始めの時期に推測していた記事内容が多かったが、本連載では、当初から、「平成27年度中をその思案期間として、年明けにも各組が決意表明しようとしている」と記している(連載第7回などを参照のこと リンク。言い換えればこれは、12月13日の事始めにおける山口組六代目と執行部の意向を見定めてから、という姿勢である。

 そして、六代目山口組の事始めでは「有意拓道」なる組指針が発表された。マスコミではこの造語の意味を、離脱傾向にある組員たちに対して、「離脱しても意味はない」と説得する言葉として紹介しているが、これはそのような後ろ向きの言葉ではない。「六代目山口組という集団が結束して、強い意志を持って、これまでになかったことをする」という意味合いのほうが強い。つまり、山口組六代目が、全組員に、腹をくくるよう求めたのである。

 過去、山口組六代目は六代目に就任(2005年7月)するのとほぼ同時に刑務所に収監(12月)、銃刀法違反により懲役6年の刑に服している。これを"組事での懲役"と解釈すれば、「出所後は、しばらく遊んで暮らしていても構わない」という対応がなされることもヤクザ暴力団業界ではよくある話である。長期の刑務所暮らしは、それだけ過酷なものだからだ。山口組六代目が府中刑務所をあとにした(2011年4月)のは69歳の時である。決して若いとは言えない身であることを考慮すれば、ヤクザ暴力団業界の慣行通りに、しばらく遊んで暮らしていてもよかったのかもしれない。組織の運営は若頭と執行部に任せて、かりに本人は遊んで暮らしていたとしても誰も文句は言わなかっただろう。しかし、山口組六代目の出所と入れ替わるように、組織の要である六代目山口組若頭が、恐喝罪で刑務所に服役してしまった(2014年12月)ことが、そのあとの計画を狂わせた。そこで、六代目山口組は、若頭に代わるものとして統括委員長という新ポストを設立し、執行部の強化を図るとともに、新たな直系団体を誕生させて組全体の組織固めを行った。立て続けの組織の変革が、出所したばかりの山口組六代目に多大な負担を強いたであろうことは想像に難くない。本来、有馬の温泉あたりでゆっくりのんびりしていてもよかったはずの山口組六代目が抱えてしまった心労と身体的疲労は並々ならぬものがあったはずだ。

 ところで、現在に至るまで続く名古屋支配管理体制の構築に着手したのは、誰もが知るように六代目山口組若頭である。それも、六代目が服役中という社会不在時に強行された。だが、道半ばにして若頭は服役してしまったため、若頭と入れ替わるように社会復帰した山口組六代目が、若頭に代わって急きょ陣頭指揮を執る必要があった。しかも、6年もの懲役生活からくる疲労や感覚的ズレというハンデを抱えたままで、である。

 こういった状態のままのワンマンプレーには限界がある。自身の考えや意思を組内に伝達し、浸透させるためにも、信頼できる子分格の者に現場を任せるのも一計である。そこで白羽の矢が立ったのが、名古屋一派の雄である三代目弘道会会長であった。

 弘道会は言わずと知れた山口組六代目の出身組織。その三代目とあれば、山口組六代目が信頼を寄せるのも当然である。マスコミ等では三代目弘道会会長のスピード出世について、六代目山口組内における名古屋支配の強化が狙い、というふうに取り上げられることが多かった。もちろん、そういった側面もないわけではないが、山口組六代目の年齢と長期刑をつとめあげた直後であるという事情を考慮すれば、むしろこれ自体はやむを得ない人事であるとも言える。なにしろ、最も信頼していて、なおかつ、その仕事をするべきナンバー2が社会不在なのだ。信頼できる若手を抜擢するのは、一般の企業でもよくあることだろう。

 だが、同時にこれは、山口組六代目が当時の執行部を信用していなかったという事実を示唆しているのかも知れない。信用していれば、全面的に執行部に組織運営を任せていただろう。実際に五代目時代の後半は、執行部による集団指導体制であった。この時代を経験している幹部組員たちも組内にはまだ多く残っていたわけで、彼らに組織運営を委ねるのも一策であっただろうが、六代目はその道を選ばなかった。統括委員長というポストの新設と、三代目弘道会会長のスピード出世による執行部入りで、この局面の打開を図った。さらに、自身と縁のある司興業、落合金町連合、朋友会といった組織を新しく直系団体として昇格させた。

 山口組六代目にしてみれば、それは組織を維持するための、精魂込めた組織改革であった。今からして思えば、こうでもしなければ六代目山口組は、名古屋支配管理体制に不満を持つ神戸一派の手により、もっと早い段階で分裂、もしくは空中分解を引き起こしていたかもしれない。山口組六代目は、自身の権力誇示のために組内の改革を行ったというよりは、山口組が分解しないために手を尽くしていたと解釈できる面もある。「山口組は一枚岩でなければならない」──その精神に基づいて、やるしかないことをただ、やり抜いただけなのかもしれない。マスコミ等で分裂理由の原因として執拗に連呼された六代目山口組の会費の高騰についても、若頭の治世下(山口組六代目が府中刑務所に収監されていた2005年12月~2011年4月)のそれと、山口組六代目の時代(2011年4月以降)のそれとでは意味が違う。若頭は、名古屋一極支配体制を強化するため、そのほかの組織を兵糧攻めしているかのような、資金力低下を狙った会費の徴収を行なっていた。だが、山口組六代目は、山口組を分裂させないためにも必要となる資金を集めていただけなのかもしれない。

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『完本 山口組三代目 田岡一雄自伝』徳間書店

 もっといえば、山口組六代目は、山口組の手による日本ヤクザ暴力団業界の統一を目標に掲げていた。ありていに言ってしまえば、全国制覇である。そのためには莫大な軍資金が必要になることは言うまでもない。

 だが、山口組六代目の真意を知らない者からすれば、若頭によって高騰した会費が、六代目によってさらに吊り上げられただけである。強権的な姿勢の強かった若頭に不満を覚え、「六代目さえ社会に戻ってきてくれれば、きっともとの山口組に戻るはず」と考えていた者にしてみれば、それはただただ落胆でしかなかった。

 そして、山口組は分裂した。日本国内に2つの山口組が存在するようになった。さらに六代目山口組は、分裂劇が招いた離脱、移籍、流出により、山口組史上ないほどの人材不足状態にある。残留する者は、それぞれに様々な理由を持って六代目山口組の代紋を掲げているが、その中でも少なからずの人員が、山口組六代目の悲願である「山口組の全国制覇」を自分の胸にも秘めていることは間違いない。

 もう全国制覇なんかの時代じゃない、と言う人もいるかもしれないが、全国制覇こそが三代目山口組以来の長い悲願である。分裂騒動によって深刻な人材不足に陥った六代目山口組ではあるが、前に突き進むという「有意拓道」を組指針として掲げ、六代目発足時の初志を貫徹させようという意志をはっきりと示した。

 世間では、神戸山口組と六代目山口組の直接全面対決という本抗争を煽る意見が多いが、六代目山口組の本当の抗争相手は神戸山口組ではない。もちろん神戸山口組の抗争相手も六代目山口組ではない。山菱の金看板が向かうべき道、それは全国制覇なのである。


(取材/文 藤原良)