>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その23 ~おとこの器量~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その23 ~おとこの器量~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


いつからか、何かが、変わった


 博徒の賭場には常盆(常設の賭博場)や約盆(決まった日に開かれる賭博場)などさまざまな種類があるが、その中に、正月や誕生会等の祝縁日に関係者が集まって開帳される賭場である「花会」というものがある。
 
 現在の法律では、賭博を開帳した者は賭博場開帳図利罪(刑法186第2条)となり「5年以下の懲役刑」に課せられるので、これからする話は、昔々の話として理解していただきたい。

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写真はイメージです

 ある時、直系組長たちが集まって花会が開かれた。お祝いの意味も強い賭場ため、勝負は勝負といえども、賭場によくある張りつめた空気感はなく、なごやかな盆であった。

 各組長たちは、賭場で使う現金を持参して来ている。花会という事もあって、数億円ものキャッシュを持ち込んでいる組長もいた。勝てば膨らみ負ければスルしかないが、昔から、博打とは、負けてナンボの遊びである。

 直系組長ともなると、2億円ぐらいの現ナマを持ち込んでくることも当時では普通だった。役職クラスにもなるとその金額は平然と用意されていた。そんな時代だった。しかし、そんな中で、ある組長は、役職クラスでありながら、2億円を用意するのが困難だった。決して、それは恥ずかしいことではない。2億といえば人間ひとりの人生が変わってしまうぐらいの大金である。それを用意できないからといっても、なんら恥じることはない。誰も、その組長を安く見る人はいなかった。男の器量は金では測れない。その組長が率いる組は、いざ抗争となれば必ず名前が挙がる武闘派であり、経済的には、決して裕福ではなかったが、組の本拠地がある地場の市場は安定しており、バブルのような突発的な大儲けはなかったとはいえ、他所よりも地力はあった。しかし、やはり、2億円は大金であった。しかも、賭場の金である。スレば、2億円くらい一瞬で消えてしまう。その組長が2億円を花会に持ち込んで来ることはほとんどなかったが、それでも、邪険にされることは一度もなかった。

 それから20年後ぐらいに、その組長は、それまでの直系組長から昇格して、組織全体の長となった。彼の直系組長時代を知る他の直系組長たちは、花会のときの彼の所作をよく覚えていた。そして「彼は金にうるさい男ではない」、「彼は金で男の器量が決まらないことをよく知っている人物だ」、「やくざとしてはいいやくざである」などと評していた。

 しかし、彼がトップの座に就任してから間もなく、組織の会費が突如として高騰した。さらに、さまざまな祝い事として臨時徴収も行われるようになった。それはまさに突然だった。急な会費の高騰により会費の捻出に困った直系組長は、瞬く間に引退や除籍処分にされた。

 組長が若かった頃、花会で持参金が少なくても誰も彼を罵ったりはしなかった。男の器量は金ではない。そういう心意気の中で彼はやくざとしてあり続けた。

 そんな彼が、昇格して大組織の長となった時、誰がこのような状況になることを予想しただろうか?

 彼が長になってから、やたらと金にうるさくなった。各直系組長たちからめいっぱい吸い上げるようになった。各直系組長たちは、金額の変化にも困惑したが、彼のそういうやり方について大きな溜息をついた。昔と今とでは大違いだった。

 時には日用雑貨を売りつける日もあった。各直系組長たちは唖然となるしかなかった。そして、そのやり方について、意見を述べようとした直系組長は、いとも簡単に絶縁・破門処分とされた。

 二言目には、「親の言うことは絶対だ」と繰り返し言うが、そもそも世の中に絶対なんてものはない。幾人かの直系組長たちが、そのことを身をもって示したら、今度は、「逆縁だ」とか「不心得者だ」と言い出した。

 あの花会の賭場を懐かしく思う直系組長たちも多い。

「気にするなや。どうせ博打や」

 みんなより所持金が少なくても、大切なことは、気兼ねなく、みんなで笑い合えることである。盃というものは金では買えない。互いに認めあうということも、金銭では計れない。もっとダンディズムなマインドなものなのである。
 

(取材/文 藤原良)