>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その25 ~株式会社 六代目山口組~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その25 ~株式会社 六代目山口組~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


「山口組」という血脈


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写真はイメージです


 ある関東の組の幹部と雑談していた時に、「200人の組のヒットマンと7000人の組のヒットマン、どっちが強いと思う?」という話になったことがあった。

 彼の答えは、「7000人の組のヒットマンの方が強い」であった。理由は、殺しをした後の入獄差し入れで、7000人組員のいる組なら、1人1万円ずつ集めたとしても7000万円になる。かたや、200人の組では同条件なら200万円にしかならない。その金は、もちろんヒットマンが報奨金としてもらう。「だから、7000人の組のヒットマンのほうが絶対に強い」というわけだ。さらに続けて、「だから、小さい組は大きい組と絶対に喧嘩をしないんだよ」と彼は言う。これはこれで、非常に分かりやすい説明ではないだろうか。

 だが、私は、本当に強いヒットマンは、むしろ、200人の組のヒットマンのほうではないだろうかと思ってしまうのだ。7000人の組と比べれば、報奨金は10分の1にも満たないのに、それでもヒットマンとなって任務を果たそうとする人物のほうにこそ畏怖を感じてしまう。金で動く者は、金がなくなれば動きが止まるが、金以外の動機で動く者に懐具合は関係ない。権力で抑えつけようとしても、必ず反発してくるだろう。かりに、負けたとしても、必ず這い上がってくる恐ろしさがその者にはある。その者は死ぬまで動き続けるだろう。

 ケンカができるヤクザとは、この手の人種を指して言う気がする。

 六代目山口組は、名古屋支配管理体制の全盛期に、そういう『ケンカができるヤクザ』たちを何十人も破門・絶縁・除籍処分にして放り出してきた。そのかわりに、まるでブラック企業のような集金システムを構築して実践した。当時、六代目山口組の事を関東のヤクザたちは『株式会社 六代目山口組』なるあだ名をつけて揶揄していた。もちろん、関東勢にも、組織によっては、六代目山口組と似たような状況に陥っている組も存在していたが、六代目山口組ほどの重症ではなかった。

 現在の六代目山口組には、もうケンカができる者はいないと言われている。ここでいうケンカとは、やみくもに相手を罵倒したり痛めつけたりすることではなく、『男の美学』という観念に沿ったケンカができるか、という意味合いである。先記したように7000万円でなく200万円の報奨金でもヒットマンができるかどうかである。いや、金額的な話で言えば、むしろタダでもやれる奴なのかどうかである。男の美学、仁義という観念に沿い、任侠精神の観点から物事をとらえて、「やるしかない」と判断されたケンカに挑めるかどうか、である。 

 繰り返すが、現在の六代目山口組にはもうケンカができるヤクザはいなくなってしまったと言われている。株式会社六代目山口組とあだ名に、どうしようもないほどのリアリティーを感じさせる組織になってしまった節がある。

 それに反して、神戸山口組には、まだケンカを知っている人物たちが存在している。マスコミには、どういう意図でかは分からないが、よく両組織を資金力でもって比較する記事が作成されている。「金がなければケンカはできない」という理屈もあるが、山口組には、金もないのにケンカばかりしていたという歴史がある。それだけ、ありとあらゆるケンカの方法を熟知しているという、ヤクザならではの知識と経験、実績があった。金でなく、その面から六代目山口組と神戸山口組を比較すると、山口組が蓄積してきたヤクザならではの経験値の多くは、神戸山口組のほうに受け継がれたと言える。今回の分裂騒動により、その濃さがより明確になったとも言える。

 神戸山口組が、山口組という文字を組織名に固執し、使用し続けるのは、「我々のほうにこそ、山口組の伝統や長年蓄積された知識、経験値がズッシリと保存されている」という自負があるからである。六代目山口組のほうでは「ヤクザの慣習法では、山口組の名称を使えるのは我々だけだ」と主張しているが、肝心の『山口組の血』は神戸山口組にも流れている。つまり、理と情の違いはあれど、どちらも山口組であるということは、これまでにも何度となく述べてきた通りである。

 現在、全国各地で、六代目山口組系列の組員と神戸山口組系列の組員たちによる小競り合いのような騒動が勃発しているが、分裂前からの人間関係で溜まっていた鬱積を「この際」とばかりに晴らしているケースも存外少なくない。つまり、はるか以前から溜まっていた膿のような物が、今回できた傷口から流れだしていると解釈したほうがいい。それだけ、分裂前からこの組織はさまざまな問題をはらんでいたのだ。同門同士にもかかわらず(いや、むしろ同門同士ゆえか)、組織的病理のような多くのストレスを蓄積していたことを意味している。その溜まりきったヘドロのような物を一掃するためには、むしろ分裂という『別れのスタイル』を用いることが有効だったのかも知れない。かつては同じ屋根の下にいた、異なるヤクザ観を持っていた者が、むやみやたらと敵対視するわけでもなく、別れることができたからである。互いの任侠道を貫くためには、そうするしかなかったのであろう。
 

(取材/文 藤原良)