>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その24 ~顔役~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その24 ~顔役~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


その結果「いろいろなことが悪くなった」


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写真はイメージです


 今はもう消えてしまった、ある名門直系組織について書こうと思う。

 その組を仮にA組と呼ぶことにするが、A組は、昭和の中頃から山口組の舎弟となり、本部事務所をかまえる町と隣接の地域に確固たる地盤を築いていた。縄張りという概念が薄い山口組の中でも、広大な縄張りを築いた組長のひとりとして全国にその名をとどろかせていた。地域貢献を惜しまず、堅気さんたちからの人気も絶大で、地元の市長選に推薦されたこともあった(本人が、『ヤクザごときが......』と丁重に断った)。言わずと知れた名門博徒であった。
 
 山口組というと、確かに、"ケンカの山口"と言われるぐらいに、抗争や全国進出といったイメージが定着しているが、まれに地方紙でも報道することもあるように、被災地に応援物資を送ったり炊き出しをしたりと、比較的社会貢献にも熱心な性格を持っている組織である。また、地域の娯楽活動への貢献という顔も持っており、昔は、田舎の小学校の映画鑑賞会で使用するフィルムを山口組の組員が無償で運んでいたこともあった。山口組が大きくなったのには、それなりの理由があるのである。そして、この直系組長も、地元ではたいそう慕われていた有名人であった。

 そんな名門組長の息のかかった地域に、ある組織B会(仮称)も本部事務所を構えるようになった。同じ山口組内の組織であった。名門組長も、その組を「同じ菱の代紋だから」としてことあるごとに優遇した。シノギや組活動がバッティングすることもなかった。それは"たまたま"ではなく、名門組長の計らいによるところが大きかった。仮にバッティングした時は、盃の重さから言って、B会の会長がA組組長に遠慮するのが筋である。ところが、A組組長はB会会長の活動の邪魔になることはなにもせず、むしろ、いつも先回りして道を作ってあげていた。B会会長がA組組長に感謝したか、または、すべて自分ひとりの実力でやったことと勘違いしていたのかは本人以外には分からないところであるが、周囲の人々は、B会会長が大きくなっていった理由をすべて知っていた。

 A組組長の病死後、この名門組織は、いったんは新組長を立てたが、その後に紆余曲折を経て、これまでの付き合いと近隣のよしみを理由にB会に加入した。それと同時に、A組の地盤はB会に引き継がれた。B会はこれを契機に組織力が急増し、山口組本家でも役職がつくようになり出世した。

 だが、B会会長が山口組の中で出世したからといって、相変わらずB会が地域貢献することはなく、当然、A組組長が存命中の頃のような活気と人気は地元住民たちから失われていった。それどころかB会会長は地域利権をひとり占めにするばかりで、旧名門組織の経済的基盤だった繁華街もそのにぎわいを失った。

 B会会長は、その地域で飲食店を中心に商売をしている。また、地域の工事利権のほとんどを支配するようにもなった。A組組長が存命の頃には公平に振り分けられていたものが、B会会長の時代になってからは、不公平で不平等なものとなった。B会会長に地域貢献という精神は、本当に、まったくない。A組組長がやったような地域への娯楽貢献も一切ない。

 時代の変化という過度な競争社会の浸透により、もう他者のことなど構ってはいられない状況が日本国内のいたるところで発生しているのも事実かも知れない。しかし、敗戦直後の混乱期に比べれば、ジリ貧の苦しみはそこまで大変なものではないような気もする。そして、日本国民は、戦中戦後の時代を経験して、競争するよりも協力し合ったほうが強いということを身をもって知っている国民である(先の東日本大震災の時によく使われた言葉『絆』も、意味するところは同じだろう)。競争するよりも協力し合ったほうが強い、それはA組組長の口癖でもあった。A組組長の地盤を結果として引き継いだB会会長には、残念なことに、こういった思考や概念は皆無であるようだが。

「いろいろなことが変わった」というよりも、「いろいろなことが悪くなった」と述べたほうが正確なのかもしれない。B会会長は、A組組長が築いたものを引き継いだというよりも、すべてを私利私欲のために喰いものにした。B会会長がここまで出世できたのは、A組組長の心遣いがあればこその話だったのに、だ。確かに、B会会長は、A組組長の直接の子分ではなかった。しかし、地盤を「代わって預かる」という意味ぐらいは誰にだって分かるだろう。そして、一番迷惑しているのは、その地域の堅気さんたちである。本当に、A組組長の頃とはすべてが真逆のようになった。

 六代目山口組の分裂騒動以降、このB会会長から、「契り」とか、「男の誓い」とか、「任侠道の大義」とか、そういった言葉が発せられることがよくあるが、それが嘘だと言うことに誰よりも気がついているのはこの地域の堅気さんたちである。

 ヤクザ暴力団組織の中での"出世"に、いったいどれほどの価値があるのだろうか? ヤクザ暴力団組織内で格があがったところでいったい何の意味があるのだろうか? ヤクザはヤクザ以上でもなければヤクザ以下でもない。ヤクザはヤクザであってヤクザでしかない。中央を目指し立身出世という太閤ロマンもいいが、ヤクザにはやっぱり町の顔役が似合っている。名刺の肩書きが増えたことを喜ぶよりも、町や地域や人々から必要とされる充実感を貴重に感じてほしいのだ。

 ヤクザのくせに──ヤクザなのに──ヤクザというどうしようもない生き方をしているはずなのに──"人気者"になる。そのためには、それぞれの町で必要とされる人材に、ヤクザといえどもならなければならないのではないだろうか。山口組内で若頭補佐を務める現在の会長の行動は、とても残念に感じてならない。


(取材/文 藤原良)