>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その③ ~分裂Ⅲ~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その③ ~分裂Ⅲ~

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一枚岩の結束を誇っていたはずの山口組が分裂してしまった理由は何か? 抗争が起こる可能性はあるのか? それに一般人が巻き込まれてしまう可能性はないのか? そして、この混乱状態はいつになったら、どういう形で収まるのか......。一般人である私たちには皆目見当がつかず、日に日に不安も大きくなっていきます。そこで山口組の事情に詳しい藤原良氏に現在の事態を解説していただきました。


六代目の出所を一日千秋の思いで待った神戸一派


 山口組誕生100周年目に勃発した離脱分裂劇。そして離脱勢による新組織樹立は、六代目山口組発足当時からくすぶっていた名古屋一派と神戸一派の確執によるところが大きい。それは今に始まった事ではなく、もうすでに始まっていた事なのである。

 もとから名古屋一派と神戸一派とでは「道が違っていた」のである。

 名古屋一派は、「組内にいる敵」である神戸一派を潰すべく、強靭な名古屋支配体制作りを目指した。神戸一派を締め付け、シノギをもぎとり、行動を執拗に管理した。制裁処分の理由を見つけるために、神戸一派を陰険に追い詰めた。

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『六代目山口組司体制誕生の衝撃』洋泉社

 六代目山口組が発足(2005年7月)してから3年が過ぎた頃、神戸一派のボス格である後藤組を除籍処罰(2008年10月)にした事で一見、神戸一派が敗北したかの様に思われたが、真相は違っていた。執拗な名古屋支配体制は周囲の反感を増長させ、結果的に神戸一派の敵対心を増幅させただけだった。そして、ついに離脱分裂へと動き出すのである。

 現在の状況を「11年前(六代目発足当時)に戻っただけや」と言う組幹部もいる。名古屋一派と神戸一派の確執の決着は、六代目が長期服役した事で生じた組長不在により、先延ばしにされていたとも解釈できる。


 六代目が服役中(2005年12月~2011年4月)に神戸一派の勢力を増大させないため、若頭主導で「神戸一派の切り崩し」という徹底管理が行われた。それはもう経済戦争に姿を変えた「≒抗争」のレベルにまで達していたが、神戸一派は必死に耐え忍んだ。それは六代目親分社会不在という状況の中で、子である神戸一派が結論を出すのは任侠道に反すると考えたからなのかもしれない。それとも名古屋一派から「経済戦争」をしかけられている事に気が付いていなかったのか......、どちらにせよ六代目が出所し、組織の長と対話が出来る状況になってから神戸一派は結論を出し、そして行動に移した。それが「別れ」という「離脱分裂」だった。

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司六代目が収監されていた府中刑務所 wikipediaより引用(リンク

 この神戸一派の結論を世論は"逆縁"とか"盃返し"とか"謀反"と騒ぎ立てるが、11年間もの間、神戸一派がしかけられた経済戦争を耐え忍び、その間に多くの犠牲を払ったことは事実である。それは並大抵の事ではない。むしろ六代目組長の出所を待って意思表示を行った神戸一派は、逆縁でも盃返しでも謀反でもなく「筋を通して別れた」と言える。この事だけはしっかりと書いておきたい。

 山健組をはじめとする神戸一派の行動にヤクザあるまじき行為は一切ない。むしろ、見上げたヤクザたちである。