>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑩ ~報道されなかった抗争 後編~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑩ ~報道されなかった抗争 後編~

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 創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
 分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。


五代目山口組時代における最大のタブー


 当時の世論やマスコミでは「若頭が殺られたのに山口組は中野会に対して沈黙か?」「なぜ中野会を攻撃しないのか?」といった論争がよく見られたが、

①同門である若頭補佐に対して、先に手を出したのは若頭のほうである。
②一連の出来事から大手消費者金融会社が倒産に追い込まれ、大手銀行も混乱状態となり、このまま抗争が拡大すれば当局により山口組自体の存続が危うくなっていた。

 という2点が大きく作用したことは指摘しておきたい。そして、五代目山口組は、その後8年間も続く長い沈黙の時代へと入っていった。けれども、沈黙とは表向きであり、山口組内部は大きく揺れていた。

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「実録渡辺芳則山口組五代目物語」メディアックス

 はじめはよくあるシノギのバッティングに過ぎないと誰もが思っていた。難攻不落の「最後の土地バブル地帯」をめぐって、若頭と若頭補佐という山口組最高幹部同士の意地の張り合いのようにも思われていた。それが、大銃撃戦に進展し、大手企業の倒産、若頭の暗殺、名門組織の絶縁──と当初の予測や想像を遥かに超える大惨事となった。そして、入り組んだすべての経緯のひとつひとつがタブー視され、とくに、同門である若頭補佐に対して若頭が他組織を使って先に手を出した事が五代目山口組時代における最大のタブーとされた。

 これまで、中野会会長襲撃事件や宅見若頭暗殺事件に関する資料や情報は今ひとつ説明に欠けており、合点がいかない部分も多くあった。それはタブーとされた部分を解説出来なかったからである。今回は、六代目山口組の分裂騒動を語る上で、このタブーに触れる必要があると判断されたため、ここに書き記した。

 さて宅見若頭の死去により、次なる山口組若頭を選出するべき状況が五代目山口組内に生まれた。次期若頭候補として、当時、名があがっていたのは、三代目山健組組長、芳菱会会長、そして、弘道会会長であったが、この3名はそれぞれ銃刀法違反容疑等で警察当局に身柄を拘束され、保釈後も、長く裁判係争中状態が続き、その事が若頭選出人事を遅らせる原因ともなり、山口組内部に若頭不在という不安定な状況を招いた。

 先のタブーが主たる理由で、山口組五代目は「長期休養」というかたちで組長職から降り事実上の引退状態となったが、若頭不在という跡目不在状況によりただちに引退とはならず、長期休養という一種の棚上げ状態にとどめたまま、実質的な組織運営は五代目山口組執行部による集団指導体制となった。

 その当時、山口組の中では組員が何人か集まると、必ずといっていいほど話題になる話があった。「その時にしたかった話」が盛んにされるようになったのである。