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山口組分裂の原点を探る! 日本のヤクザ社会に今、何が起きているのか!?

日本犯罪史上最凶「尼崎連続変死事件」はヤクザ組織や地元ではどう語られているのか

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事件発覚から4年近く過ぎたというのに、被害者の数さえ確定しないという、日本犯罪史上例を見ないほどの凶悪事件「尼崎連続変死・行方不明事件」。主犯のひとりと目される李正則の"殺人罪"での初公判がはじまり、再び注目が集まっている。そこで今回は事件の舞台となった尼崎に在住しており、なおかつ、李正則容疑者も「所属していた?」というネット上の噂もあるヤクザ組織に身をおいていた作家の沖田臥龍に、関係者だけが知っている話を語ってもらった。



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李被告、殺人罪など大半を否認「亡くなるとは思わず」 産経WEST(リンク



李被告、殺人罪など大半を否認「亡くなるとは思わず」

産経WEST 2015.8.19 12:38

 兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、角田美代子元被告=自殺、当時(64)=の義理のいとこで、男女5人に対する殺人や傷害致死など計10の罪に問われた韓国籍、李正則被告(41)の裁判員裁判初公判が19日、神戸地裁(平島正道裁判長)で開かれた。李被告は「亡くなるとは思っていなかった」などと述べ、起訴内容の大半を否認した。

 起訴状によると、李被告は元被告らと共謀。平成17年、元被告の義妹、角田三枝子被告(62)=殺人罪などで懲役30年求刑=の夫、久芳さん=当時(51)=に崖からの飛び降り自殺を命じて死亡させ、20年には仲島茉(ま)莉(り)子(こ)さん=同(26)=を尼崎市のマンションの小屋に監禁し、暴行や虐待の末に衰弱死させた。23年には橋本次郎さん=同(53)=を小屋に監禁、虐待して衰弱死させ、遺体を岡山県の海中に遺棄したなどとされる。

 李被告は罪状認否で、皆吉さんへの傷害致死罪について「頭を振るなどの暴力はしていない。死なせたというのは間違い」と主張。一方、検察側は、一連の事件の首謀者である元被告や他の親族らとの共謀の成立とともに、李被告自身が殺人や死体遺棄などの実行行為に強く関与したことを立証するとみられる。

 李被告は24年9月、ドラム缶から遺体で見つかった大江和子さん=当時(66)=への死体遺棄罪などで懲役2年6月の実刑判決を受けた。


尼崎の町中が警察官で溢れかえった


 私の地元尼崎で起きた事件なので、今回は少し「腕」を振るってみたい。

 兵庫県尼崎、通称、尼(あま)の小さな街・杭瀬を一気に全国区にしてしまった、この事件。国道2号線を大阪方面から西へと走り、大阪府と兵庫県の県境となる左門殿橋を渡ると、今回の舞台となった杭瀬の街が姿を現わす。

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阪神本線杭瀬駅 以下写真もすべて筆者

 そこから更に西へとひた進むと杭瀬の交差点となり、南側に阪神杭瀬駅、北側には商店街が列をなす。ここ辺り一帯が、角田ファミリーの活動範囲であった。

 昔は、この付近にあった塩野義製薬と木村鉛鉄(現・木村化工機株式会社)で働く労働者が沢山いて、仕事を終えると女性陣は杭瀬商店街に寄り夕御飯の買い物をして帰り、男陣は杭瀬商店街の奥に並んだ飲屋街、もしくは阪神杭瀬駅周辺の五色横丁(後に角田ファミリー御用達として脚光を浴びる)で、一杯ひっかけるのが通例となっており、そんな労働者で溢れ返っていた。

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李容疑者の母親も五色横丁でスナックを経営していたというが......

 だが、塩野義製薬の多くの社員が高槻支店に異動されていった事や木村鉛鉄の大幅な人員削減等で一気に過疎化が進み、今では一時の賑わいは影を潜め、商店街や五色横丁も空き店舗が目立つ。そんな街並みが角田ファミリーを生み出し、世間に晒される事になろうとは、誰も想像だにしていなかったのではなかろうか......。

 事件当時は、杭瀬の街並みの至る所に警察官が配備されていた。それだけではなく24時間体制でパトカーや覆面(警察車両)が巡回にあたり、異様な物々しさを呈していた。

 そういった警察官の面々の中には、普段制服に袖を通す機会の少ない暴力団専門の刑事の制服姿の顔もちらほらあり、兵庫県県警はもとより、尼崎市内に3つある各所轄が総力を挙げて取りかかっていることを窺わせた。

 後述するが、別件で知り合いの暴力の刑事と話した時にも、「今、例の角田の件の応援やっとるから、手一杯なんや」と愚痴をこぼされ、その慌ただしさがひしひしと伝わってきた。

 私はそうしたピリピリした空気を実は好ましく感じていた。私だけではない。尼崎のヤクザ者は例外なく安堵を覚えていたのではあるまいか。

 当時、私の所属する組織の本部(編集部注・ある広域暴力団の二次団体の本部事務所のこと)でTVから流れる角田事件を見て、私の同僚たちや上司たちが、「えらいオバハンもいとるもんやな~」とのんきな声を出していた記憶がある。本部のある場所から数kmのところで発生した事件だというのに、皆がそんな感じだったのも、尼のヤクザ者が安堵を覚えていた証拠と言えるかもしれない。

 ちょうどこの頃、兵庫県にも暴力団排除条例が施行され、何で持っていかれても(パクられても)おかしくなかったので、暴力団に向けられている目が緩むこの状況が不謹慎ではあるが有り難かったのである。余談だが暴排条例に関しては、現場の暴力の刑事ですら、「何でパクるか見当もつかん」と漏らしていたほどだった。

 だが事態はやがて笑い事ですむような話ではなくなってきた。死者はいつまでも増え続け、それと比例するかのように町中の警察官の数も増え続けたのである。そのとばっちりを最初に受けたのは私の義理の弟だった(自業自得ともいう)。

 この頃、私は義理の弟らを使い、尼崎の繁華街、通称"中央"で、夕方から朝までの居酒屋風バーを経営していた。当時、中央から2駅の杭瀬に住んでいた義理の弟は、いつもは通勤に自転車を使っていたのだったが、その日に限ってたまたま車を使用していた。そしてパーキングに車を停めて帰れば良かったのだが、ちょっとくらいなら大丈夫だろう、と客から頂いた酒の残る身体で戦場と化している杭瀬へと帰ってしまったのだ。

 結果、巡回中のパトカーから職務質問に合い、免許を取り消され罰金30万円也を納めさせられる事になってしまった(自業自得である)。さらに義理の弟はその件を私に言い出せず、私の当時の部下に相談した所、散々怒り挙げられた挙句、きっちり私にチンコロされてしまい、私からも大目玉を喰らってしまったのである。

 そして、次のとばっちりを受けたのは、何を隠そう私であった。ただ私の場合は自業自得というよりも、とんだオッチョコチョイと言ったほうが適切か。