>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その④  ~50億円~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その④  ~50億円~

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一枚岩の結束を誇っていたはずの山口組が分裂してしまった理由は何か? 抗争が起こる可能性はあるのか? それに一般人が巻き込まれてしまう可能性はないのか? そして、この混乱状態はいつになったら、どういう形で収まってくれるのか......。一般人である私たちには皆目見当がつかず、日に日に不安ばかり大きくなっていきます。そこで山口組の事情に詳しい藤原良氏に現在の事態を解説していただきました。


大義と大義がぶつかった

 
 平成26年頃から神戸一派の動きが水面下で活発化していた。それはもちろん、六代目山口組からの離脱の為である。

 その頃から、山健組と宅見組が中心となって離脱準備を行っていた。また、過去の後藤組除籍時に連座してそれぞれ破門・絶縁・謹慎とされていた組や元組員たちも離脱準備に積極的に関わっていた。とくに、旧後藤組の後藤元組長自身が離脱準備に関わっていたいた事が神戸一派の結束を強めた。

goto_tadamasa_0909.jpg『憚りながら』後藤忠政著 宝島社

 後藤組長にしてみれば、五代目引退から六代目誕生の時期に、死力を尽くして山菱の代紋のために、一枚岩の山口組を守るために駆けずり回った苦労が、その後の名古屋支配体制のありさまで、無駄だったという虚無感がある。さらに、自身が除籍処分にされたという悔しい想いがある。山口組をもう一度「山口組にしなければならない」という強い想いがある。神戸一派にとっては、名古屋支配体制の山口組は山口組ではないという思いがある。

 あの時(2005年の五代目引退時)、琵琶湖を境にして山口組が東西に内部分裂した時、神戸一派は神戸側の次期六代目組長筆頭候補を「菱の代紋の為」「一枚岩を維持する為」に諦めさせた。そして、名古屋一派から六代目を誕生させた。それは内部対立を深めて静かなる内部抗争をするためではなかった。あくまでも「一枚岩の山口組」を維持する為であった。

 とは言え、確かに、神戸一派にしてみれば、たとえ六代目が名古屋一派出身であろうとも、組内の最大派閥として六代目山口組内に君臨さえしてしまえば我が物顔でいられるという思惑もあったが、逆にそれは、六代目を神戸一派から出していたなら、名古屋一派にも同じ事が言えただろう。今度は名古屋一派が組織内大派閥として振る舞うだけである。結局は、誰が六代目になるのかが一番大事な事だったのである。それを名古屋一派に譲った。

 その先導者だった後藤元組長にしてみれば、その後の六代目山口組の状況は、非人道的過ぎると思われた。そして、自身は除籍処分にされた。義理を欠くとはまさにこの事である。後藤元組長が神戸一派の離脱に大きく関わるのは当たり前の事である。

yamaguchi_hujiwara_0911_01.jpg

wikipedia名古屋市(リンク

 しかし、名古屋一派に言わせれば、組織内にいる敵との「静なる抗争」である。あの時、後藤元組長をはじめとする神戸一派を名古屋一派が後ろから出し抜いた事は事実である。しかし、それも「静かなる抗争の一局」なのだ。「戦術」なのである。名古屋一派に言わせれば、ただ「ずっと一念を貫いている」だけである。悲しいかな「一念を貫き、大きな岩でも動かすのが山口組魂」でもある。どんなに犠牲を払ってでも目的を遂行するのが「ケンカの山口」である。

「山口組即ち我が人生」をともに信念とする人間たちがぶつかり合っている。一方は「山口組が山口組であるために」。そして、もう一方は「山口組だから山口組として」である。はじめから、神戸一派、名古屋一派の双方に、両者なりの言い分があった。