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「オレはいつだって誇りのために闘ってきた」 エンセン井上インタビュー

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日本中が不安に包まれた、あの年のこと

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──被災地の支援を一生懸命やってくださって、本当にありがとうございます。

エンセン 心で、やってるから。心で、東北の人たちを手伝いたいから。もう36回行った。これからもずっとやります。

 自分は、日本に来た最初4年間、東北に住んでた。それで地震になったとき、郡山の友だちが大丈夫か見に行った。友だちは大丈夫だったけど、他の格闘技の友だちからも電話あって「岩手にいる自分の友だちが連絡取れないから、エンセンさん見に行ってもらっていいですか?」。わかった。もう東北にいるからいいですよって言ってカーナビに岩手の住所入れたら600km以上あるじゃない(笑)。でも、行くって言っちゃったから、途中で水とかいろいろなものを買いながら宮古を目指して行った。それが、地震があってから2週間後。

 ガソリンがなくて、高速もヒビがあるところは走れないから降りたり乗ったり。走ってるのは軍のトラックとか警察のバスとか。普通の車はなかったネ。

 それで岩手行ったら、友だちの家族は避難所にいて、そこの避難所の他のいろんな人とも話をした。みんな段ボールを壁にしてスペース作って、持ってる洋服もほとんどなくて、足を見たら靴がない。津波で靴を履くひまがなかったから。この2週間、トイレのスリッパで過ごしてた。

 なにか必要なものある?と聞いても、「いや大丈夫です」「大丈夫、気にしないで」。

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エンセン井上氏提供

全然大丈夫じゃないじゃん!と思って、盛岡のほうまで3時間走って、いろいろなもの買って来てみんなに渡した。それがはじまりだったんですよ。みんなの笑顔。みんなの喜び。それが心にハマって、すぐにまた来たくなった。

 最初の2、3回はみんな硬かった。宮古って海の町じゃない。みんな、しばらく刺し身を食べてないだろうから、あるとき盛岡で刺し身を買って避難所に届けた。そしたら帰るときに、はじめて何人かのおばさんが近くに来てくれて「実は靴が欲しいです」。それでサイズを教えてもらって、持っていったらすごい喜んでくれた。心開いてくれた。

 覚えてるのはアメリカ人の友だちと宮古に行ったとき、最後、オレが車に乗って待ってたら、友だちが戻って来るのが遅かった。しかも、来たら彼は涙流してる。

 は? どうしたの?ってきいたら、帰ろうとしたらおばさんが来て、靴を抱きしめて、この靴はエンセンから、このTシャツはエンセンから、このズボンはエンセンから。感謝してますっておばさんが泣いて、彼も泣いちゃったって。それを聞いたら、もうね......。もっとがんばらなきゃね......。

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エンセン井上氏提供

 その後の5、6回は岩手の山口小学の避難所とグリーンピアの避難所の2つに行って、すごいビックリしたのは仮設住宅になったらみんなバラバラになって、そこに行ってももう誰もいない。探せない。ずっと協力したかったけど、わからない。それで郡山の友だちに相談したら、「ビックパレットふくしまの中に。まだ避難している人がいるよ」って言われて、行ったら2000人以上いた(編集部注 2011年8月当時)。それからはずっと福島です。

 福島では、いろんな動きがあったです。エンセンは原発に行きたかったから、原発には3回行った。スーツ(防護服)着て、マスクして。

──どうして原発に行ったんですか?

エンセン 協力できることがあれば協力したい気持ちあったから。

 自分は有名な格闘屋として、普通の人より手伝える可能性があるから。原発に入ったのも格闘技の力。格闘技をずっとやってた力。普通の人だったら絶対入れない。そういう力があるのに何もやらないのは人間として良くないと思う。知らなかったらしょうがない。見なかったらしょうがない。でも見ちゃったらネ......。

 目の前のビルが火事だった、その2階に子供がいた、もしかしたら、オレが協力できるかもしれない。そう思ったら、やらなきゃ。死ぬかもしれないけど、やらなきゃ。そこでやらないと絶対に魂がダメになっちゃう。