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【R-ZONE浅草】

日本初のカーセックス総理・伊藤博文が愛した、吉原遊郭

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日本初の内閣総理大臣の素性

 小説家としても俳優としても活躍するお笑い芸人・劇団ひとり。昨年、自著『青天の霹靂』が映画化された際は自らが監督を務め、出演も果たした。多才ぶりを発揮し続ける彼は現在、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で伊藤博文役を演じており、こちらも注目を集めている。

 伊藤博文といえば、日本初の内閣総理大臣。国会開設や憲法制定の中心を担って近代日本の礎を築いた政治家である。これほどの歴史的人物ならそれなりのイケメンがキャスティングされそうだと、少々意外かもしれない。しかし、「花燃ゆ」での博文は農民出身で貧困に苦しみながら育った部分がフィーチャーされており、劇団ひとりの素朴な味がよくはまっているのだ。

 そもそも博文という男、苦労が多かったせいもあるのか、なかなかに人間くさい。というよりも、ある意味ろくでなしといえる。なにしろ女癖が悪く、スキャンダルで有名なお騒がせ総理だったのだ。明治時代の新聞は現在の写真週刊誌のように下世話なネタが大好物で、博文の下半身事情は格好のエサになっていた。美人三姉妹を妾にした話や、パーティを抜け出して人妻とやらかした話など、上げたらきりがない。

吉原にも残る、伊藤博文「性豪伝説」

 そんな博文が吉原遊郭に足しげく通ったという事実は大いに納得できる。入り口の吉原大門へと続く道の端にある「見返り柳」を振り返ったことも一度や二度ではないだろう。

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見返り柳。戦災などで焼け、何回か植え替えられた。

 名前の由来は、吉原から帰る者たちが名残を惜しんでこの柳を振り返ったことからきているという。

 吉原遊郭は江戸時代に作られた妓楼の町だ。もとは現在の人形町にあったものが江戸市街地の拡大などを理由に現在の浅草に移転してきた。このため、人形町の吉原を元吉原、浅草の吉原を新吉原とも呼ぶ。浅草の吉原は現在でも同じ区画が関東有数のソープ街になっている。

 妓楼とは遊女とヤれる施設だが、だからといって吉原はただの風俗街ではなかった。金だけでなく知識や風流も持ち合わせた上質の大人が集まる、江戸幕府公認の社交場だったのである。高級遊女の花魁ともなれば、無粋な客を拒否する権利さえあった。

 総理である博文は当然ながら金持ちだったが、人間的にはどうかというと、愛嬌があって女性にモテたらしい。さらに英語が堪能で頭もよかった。まさに吉原の上客だったのである。

 しかし上品だったかというとそうでもない。吉原でさんざん遊んだ帰り際、見送りに出てきたおきんという芸妓に心を奪われて、第2ラウンドに突入したという絶倫の武勇伝がある。しかもおきんを自分の馬車に連れ込んで、一晩中馬車を走らせながらカーセックスに励んだのだ。これが日本初のカーセックスということになっている。いろいろと日本初の男だ。

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大きく曲がったカーブの先は夢の世界。

 もっとも、こうやって現実を忘れた息抜き(?)をしていたからこそ、博文は政治で結果を残せたのだろう。

 吉原大門へと続く道は、奥が見えないようにわざと大きなS字カーブを描いている。これには目隠しの役割ももちろんあるが、それ以上に夢と現実の境目をくっきりつける演出という意味が大きかったのだ。

 大門はもうないが、道は当時のかたちを残している。

周辺に伝わる遊女たちの現実

 華やかな夢を提供した吉原だが、そこで働く女性たちにももちろん現実があった。

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かつてはここに性病専門の吉原病院があった。

 中でも性病感染の危険は常にあり、1911(明治44)年には吉原遊郭の性病検査を行う吉原病院が建てられた。場所は吉原大門から続くメインストリート・仲之町通りをまっすぐ行った先で、ちょうど吉原の裏手にあたる。ここには現在、総合病院の台東区立台東病院が建っている。

 台東病院から北へ行くと、東京メトロ日比谷線三ノ輪駅の近くに浄閑寺という寺がある。別名を投込寺というが、これは1855(安政2)年の大地震で命を落とした遊女たちが投げ込むように葬られたことに由来する。

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古式ゆかしい風格のある浄閑寺の山門。

 浄閑寺には吉原創業から廃止までの約380年間に葬られた遊女たちを供養する「新吉原総霊塔」がある。ここには推定で2万5千人もの遊女たちが眠っているという。

 供養塔には「生きては苦界 死しては浄閑寺」という花又花酔の歌碑がはめこまれている。確かに遊女の現実は苦難の多いものだったろう。しかし、彼女たちをただ悲しい存在として片づけるのも薄っぺらい思考である。

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新吉原総霊塔。本堂の裏手にひっそりたたずむ。

 博文は「芸妓の無邪気できれいな手は至高の癒し」とか「いい家も巨万の富もいらない、芸妓と遊ぶのが一番」というような名言(?)を残している。彼女たちは間違いなく必要とされていた。また、江戸時代の遊女、特に花魁はファッションリーダーとして憧れの的だった。女の誇りを持って働いた遊女も多かったのではないだろうか。


(取材/文=八神千鈴)