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その女が注射器を捨てるまで 第50話

臭いメシなんか食えなくて、親の金で店屋物ばかり頼んで食べた

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「あたしシャブ中でした」
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
厳格な家庭に育ち、息の詰まる毎日だった少女時代。
そして男と出会いようやく幸せの糸口を掴んだかにみえたとき、魔物が心の隙に忍び込んだ。
ひとときの痛みから逃れるために手を出してしまった覚せい剤。
そこから運命の歯車は狂っていくのだった。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。


<第三章⑦ 安息の日々 in 鉄格子>


「臭いメシ」は本当に臭かった

 取り調べと治療を機械的に繰り返す日々が過ぎた。

 まるで抜け殻。

 なにも考えていなかった。

 疲れ切っていて、考える気力さえなかった。

 怒濤の日々を駆け抜けたあたしには、休息が必要だった。留置場での淡々とした日々は、あたしにとって安息の日々だったのかも知れない。

 覚醒剤と手が切れ、ミツオという致命的な心労が目の前からなくなり、そのうえで栄養剤を注射したり、まとまった睡眠をとるようになって、しっかりとした食事も摂れるようになっていった。

 留置場の食事は、世間で言われる「臭いメシ」そのものだった。

 支給される食事は、子供用の弁当箱のようなプラスティック製の小さなお重に入っていて、中身は、朝ならごはんに芋の煮物などの総菜と漬け物、夜はごはんに唐揚げや肉と野菜の炒め物に漬け物といったところで、味噌汁などの汁物はなく、出がらしのようなお茶が付くだけ。

 でも問題なのは、内容よりも、におい。

 お重のふたを開けると、すえたにおいが広がった。
 腐りかけた生ゴミのにおいそのものだった。

 においを嗅いでしまうと、口に運ぶ気にはなれなかった。

 もしかしたら今日のは大丈夫かも。

 そんな風に思いながら、ごくたまに好奇心からお重のふたを開けてみても、いつも必ずすえたにおいに鼻を突かれて、そのまますぐにふたを閉じた。そして、「差し入れのお金がなかったらどうしていたんだろう」と、改めて親の存在のありがたさを思い知らされた。

 あたしは親の差し入れのお金で、毎日のように店屋物を取っていた。

 差し入れのお金で、覚醒剤を使っているときに食べられなかった分を、取り戻すかのように食べていた。

 注射をしていたときには口に入れるだけで吐き気がした揚げ物も美味しく感じられて、ミックスフライをおかずにカツ丼を平らげたりもした。

 留置場のあたしにとって、食べることは単なる栄養補給ではなく、最大の娯楽でもあった。

 出前のごはんを食べることが一番の楽しみで、それだけでは収まらず間食までもするようになった。

 差し入れのお金がなかったら、檻の中に閉じこめられて、楽しみもなく日々を過ごし、食事のときには仕方なくすえたにおいの「臭いメシ」を食べるしかない......。想像するだけでも憂鬱になりそうだった。

 噛みしめるたびに染み出してくる肉汁とか、白米の甘みを味わいながら、

「お父さんとお母さんが手を差しのべてくれなかったら、あたしは今頃どうしてたんだろう」

と思い、そうすると突然涙があふれたりもした。

 店屋物のおかげで、逮捕時には30キロ台の前半にまで落ちていた体重も、あっという間に50キロ台に回復し、それと同時に元気も取り戻していった。

 父と母のおかげに間違いない。

 満腹になると、窓から鉄格子越しに青い空をぼんやりと眺めながら、差し入れを続けてくれる親に何度も心の中でお礼を言った。

くさいめし+.jpg

「臭い飯」なんか食べてられなかった


(つづく)


(取材/文=石原行雄)


石原行雄 プロフィール
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/