>  >  > 邦画が描かない「出自」というタブー 『チング 友へ』前編
宮崎学の「本当はおもろい韓国ヤクザ映画」第1回  『チング 友へ』前編

邦画が描かない「出自」というタブー 『チング 友へ』前編

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『チング 友へ』前編 不良になるしかなかった男たちの物語

『チング 友へ』後編はこちら

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『チング 友へ』予告編より

 "韓流ドラマ"というと、メロドラマや時代劇が主流のように思われるかもしれないが、実は韓国の不良(ヤクザ)の映画はそれ以上に注目されている。作品では不良が美化され、韓国の若者たちが「感化」されているとの批判まであるほどだ。

 「悪」を魅力的に扱った作品は、これまでもハリウッド映画から日本の小説まで数えきれないほど作られてきたが、この韓流ヤクザ映画には、それらとは違った魅力があるということだろう。単なる娯楽作品よりも奥深く、楽しめるものとなっている。

 私は、当初は韓国の作品も日本のヤクザ映画と同質のものと考えていた。だが、『チング 友へ』ほかいくつかの作品を見て考えが変わった。それは既存のヤクザ映画とは異なる視点で作られていたからだ。

 たとえば、原爆投下後の広島のヤクザを中心にした『仁義なき戦い』シリーズをはじめとして、日本映画のヤクザたちは最初から「一人前(大人)のヤクザ」として登場する

 これに対して韓国の不良の映画は、「彼らがなぜ不良になったのか」という経緯から語られることが多い。

 日本では描くことが自主規制されるような被差別者の実態も描かれる。

 出自や絶望的な貧困、家族関係などを丹念に見せることで、「差別が原因で不良にならざるを得なかった者たちの葛藤」が伝わってくる。この葛藤は救いがなく、決して「いい話」にはならないのだが、そこにリアリティがある。

 また、主人公たちの歴史や政治に対する考えの織り込み方も自然でいい。日本の植民地支配、そして日本のヤクザとの関係など現代の韓国の背景が理解できる。

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『チング 友へ』予告編より

 『チング 友へ』は、ヤクザの息子・ジュンソク、葬儀屋の息子・ドンス、優等生のサンテク、密輸業者の息子・ジュンホという幼なじみの四人組の友情と悲劇の物語である。小さい頃は何も考えずに一緒に遊んでいても、親の職業による格差は次第に四人を引き離していく。

 特に興味深いのは、ドンスの生き方である。

 ドンスは実家が葬儀屋であることにコンプレックスを持つ一方で、仲のいいジュンソクにも「オレはお前のパシリじゃない」といきがる。不器用な青年を韓流スターのチャン・ドンゴンが好演している。

 また、葬儀屋として貧しいながらも真面目に生きてきたドンスの父も存在感がある。遺体の処理もできず、家業を継ぎたくないドンスはジュンソクと対立関係にあるヤクザ組織に入り、多額のカネを得る。ドンスはこのカネを父に渡そうとするが、父が「人の血がついたカネだ」と拒否するシーンは切ない。

 そして、幼なじみなどという理屈は通用しない世界で、ドンスにも危機が及ぶが、ジュンソクは友情を優先しようとする。「チング」とは「親旧」と書き、「古くからの親しい友」の意なのだ。この「情」はヤクザとしては理想的に思えるが、以前ならともかく現代の日本のヤクザではもはや生まれないだろう。本作には、このようなかつての「古き良き日本」に通じるノスタルジーも盛り込まれている。

 本連載では、「ネタバレ」しない程度に、韓国ヤクザ映画の見どころを綴ってみたいと考える。次回も、『チング 友へ』についてもう少し書くことにする。

(後編はこちら
   
【映画の概要】釜山出身のクァク・キョンテク監督が自らの体験をもとに描いたヤクザ映画の秀作。韓国内で820万人を動員、一大ブームとなった。韓国・釜山で生まれ育った幼なじみの四人組(ヤクザの息子、葬儀屋の息子、優等生、密輸業者の息子)が大人になるにつれて違う道を歩むようになったことで起こる悲劇。2001年製作。
   



宮崎学 1945年、京都・伏見のヤクザ、寺村組組長の父と博徒の娘である母の間に生まれる。早稲田大学在学中は学生運動に没頭し、共産党系ゲバルト部隊隊長として名を馳せる。『週刊現代』(講談社)記者を経て、家業の解体業を兄とともに継ぐが倒産。その後、 グリコ・森永事件では「キツネ目の男」に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされるが、事件は2000年2月13日に時効を迎え真相は闇に消えた。1996年10月、自身の半生を綴った『突破者』で作家デビュー。近年は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。