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宮崎学の「本当はおもろい韓国ヤクザ映画」第4回 『シルミド』後編

構造的にはまんま「東映ヤクザ映画」 『シルミド』後編

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第4回 『シルミド』後編 本物のナショナリズムとは何か?

『シルミド』前編はこちら

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『シルミド』予告編より

 主人公のカン・インチャンは、父親が「北」に亡命したことで就職もできず、ヤクザとなって殺人未遂事件を起こした死刑囚である。

 同じ民族でありながら共産主義国家となった北朝鮮に対し、韓国は「反共国家」として、国民の"赤化防止"に神経をとがらせてきた。反共のためには言論や出版の規制もやむなしという風潮は、現在も残っている。

 だから、「北」へ渡った者への制裁は容赦なく、残った家族が迫害されることはめずらしくなかった。インチャンのような子どもたちも実際にいたのだ。

 さて、物語の冒頭で、死刑が確定していたインチャンは独房から連れ出される。死刑の執行ではなく、韓国空軍隊長のチェ・ジェヒョンが「父親のためにダメになった人生を国のために生かさないか」と誘いに来たのだった。

 インチャンはそれを承諾してシルミドへ渡るが、そこにはインチャンを含め31人の元死刑囚や無期懲役囚が集められていた。31人という数字は、韓国大統領府を襲った北朝鮮の工作隊の人数である。隊長のジェヒョンの指揮の下で訓練が始まるが、その訓練は過酷を極めた。
 
 事情をよく呑み込めないまま、インチャンたちは「祖国統一のために北朝鮮の最高指導者である金日成を暗殺せよ」「そうすれば国家の英雄になれる」と叱咤されて戦士となっていったのである。

 私は、この「官製ナショナリズム」に強い違和感を持った。本来のナショナリズムとは、上から叩きこまれて生まれるのではなく、弾圧された民衆の心の底から湧きあがってくるものであるからだ。
 
 このナショナリズムが本物でないことは後半でわかるが、映画全体の流れは「東映ヤクザ映画路線」に限りなく近い。「(敵対組織の親分の)タマをとって来い(殺してこい)」と親分が子分に命令しておきながら、その組と手打ちをしてしまい、それに反発する子分の命を狙うのである。もちろん子分は黙っていない......そんな感じなのである。

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『シルミド』予告編より

 このように、韓国ヤクザ映画は、南北朝鮮の歴史や儒教的な男尊女卑を背景として描きながら、日本のヤクザ映画の影響も強く受けているのが特徴であり、興味深いところでもある。

 しかし、「親分」「兄弟分」「仁義」など日本のヤクザの基本中の基本をわかってないなあと思うことも多い。このことは、別稿でふれる。

(前編はこちら
   


【映画の概要】1960年代後半から韓国政府が極秘に進めていた朝鮮民主主義人民共和国・金日成首相(当時)暗殺計画とそのために養成された特殊工作部隊(684部隊)の実話を基に康祐碩(カン・ウソク)監督が映画化。2003年に韓国で上映され、「社会から封印されてきた負の歴史の事実が明かされた」と反響を呼んで大ヒット、韓国内の映画賞も多数受賞した。日本公開は2004年。


   




宮崎学 1945年、京都・伏見のヤクザ、寺村組組長の父と博徒の娘である母の間に生まれる。早稲田大学在学中は学生運動に没頭し、共産党系ゲバルト部隊隊長として名を馳せる。
『週刊現代』(講談社)記者を経て、家業の解体業を兄とともに継ぐが倒産。その後、 グリコ・森永事件では「キツネ目の男」に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされるが、事件は2000年2月13日に時効を迎え真相は闇に消えた。1996年10月、自身の半生を綴った『突破者』で作家デビュー。近年は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。