その女が注射器を捨てるまで 第39話

第二章⑲ 悪夢

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「あたしシャブ中でした」
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
厳格な家庭に育ち、息の詰まる毎日だった少女時代。
そして男と出会いようやく幸せの糸口を掴んだかにみえたとき、魔物が心の隙に忍び込んだ。
ひとときの痛みから逃れるために手を出してしまった覚せい剤。
そこから運命の歯車は狂っていくのだった。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)


み〜んなシャブ中

 頼りがいがある父親のような存在だったけれど、でも、やっぱり久間木もシャブ中の一人にすぎなかった。

 ただの狂ったシャブ中だった。

「おい、レイ子! いるか!? いるならちょっと来てくれ!」

 中止命令を出されてから何日も経っていないある日の夜、久間木の叫び声が耳に飛び込んできた。

 幻聴かとも思ったけれど、何度も聞こえてくるので、確認のために久間木の部屋に行ってみた。

「おぉ、いたか!」

 玄関ドアを開けると、久間木は奥の畳の部屋で、あぐらをかいていた。左半身を傾けてこわばらせた、不自然な姿勢で座っていた。

「ちょっと来てくれ」

 額から首まで、びっしょりと脂汗をかいていた。

 白目の黄色みがった目玉は血走っていて、異様にギラギラしていた。

 注射したんだな......。

 あたしには止めろと言ったくせに、ずるい。

 そう思いつつ部屋に入ると、久間木は自分の左腕を指差しながら言った。

「針が折れちまった」

どうしろっていうの!?

 顔を近づけて見ると、ヒジの内側の柔らかい部分は覚せい剤溶液らしき液体と流れ出る血で濡れていて、真ん中あたりに小さな黒い点があった。

「針、折れちまったんだよ」

 脂汗の滴るあご先を、畳の上に向けた。

 そこには針の折れた注射器が転がっていた。

「取ってくれよ! じゃないと奥に入っちまう!!」

「どうやって?」

 状況がわかって、途端におろおろするあたし。

「どうやってでもいいから! 早くしないとどんどん奥に入っちまうよ!!」

 終わりのほうはほとんど悲鳴。

「取れないよ! 救急車呼ぶから!」

 あたしも釣られて大声に。

「バカヤロウ! それじゃシャブやってんのがバレちまうだろうが!」

 怒っているような、泣いているような、異様な形相で怒鳴る久間木。

 目のギラつきと脂汗は一層酷くなっている。

「カッターあるから、そこの引き出しに! それで裂いて取ってくれ!」

 裂く......って腕を? カッターナイフで?

 ぼんやりしていると、怒鳴られた。

「早くしろよ! 入っちまうだろうが!」

 弾かれたようにあご先で指し示された引き出しを開けて、カッターナイフを取り出す。黄色い持ち手の、荷造りヒモなんかを切るときに使う、ごく普通のカッターナイフ。

「こっち側から、こうやって入れたから」

 右手の人差し指で、針の入っている方向や角度を再現する久間木。

「だから、こっからこっちに、こうやって裂いてくれよ」

 血管に沿って縦に裂けと言う。

「それじゃあ血がドバッて出ちゃうよ?」

「仕方ねぇだろ! 血管に入ってるんだから」

「麻酔とかは?」

「んなもん、あるわけねぇだろ!」

 人の血管をカッターナイフで切り裂けって?

 それで針を取り出せって?

 看護師のときに手術の見学をしたことはあったけれど、あたしが外科手術をしたわけじゃない。

 ましてやカッターナイフなんかで......。

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何やってんのよ、勘弁してよっ!(写真はイメージです)


(つづく)


取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/