その女が注射器を捨てるまで 第21話

第二章① お守り

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「あたしシャブ中でした」
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
厳格な家庭に育ち、息の詰まる毎日だった少女時代。
そして男と出会いようやく幸せの糸口を掴んだかにみえたとき、魔物が心の隙に忍び込んだ。
ひとときの痛みから逃れるために手を出してしまった覚せい剤。
そこから運命の歯車は狂っていくのだった。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)


仕事を失う不安

 ギックリ腰が治まるまで。そのつもりで使いはじめた覚醒剤。

 それなのに、あたしは腰の痛みが消えたあとも、注射を続けた。

 やめられなかったんじゃない。

 ただ、手元にあったから、なんとなく使っていただけ。
 
 少なくとも、はじめのうちは。

「十代の頃からやってるんだよ、ギックリ腰」

「癖になってるのか?」
久間木に「そう」だと答える。

「その手のやつは癖になると何度もやるからな」

「そう。だから荷物の積み降ろしが恐くて」

 トラックの運転手は体が資本、動いてなんぼの仕事だ。また腰を悪くすれば、痛みで気が滅入るのはもちろん、休業日数分の給料がごっそり削られることにもなる。

(早くまとまった貯金を作らないと、実家から子供を呼べないよ)

 あたしは焦っていた。

「また痛めるのが恐いから、どうしても腰をかばっちゃう」

 それで仕事の能率が落ちる気もした。

「じゃあ、お守り代わりっつうことで持っとけよ、これ」

 久間木が差し出す手のひらには、ビニール製の小袋。

 三センチ角ほどの袋の中には、粗く砕いた岩塩のような、

 無色透明の結晶。

「ギックリ腰になったらすぐ使えばいいし、いつでも使えると思えば安心して働けるだろ?」

「いいの? ありがとう」

 あたしは気軽に受け取った。

 お礼まで言ったりして、バカみたい。

私には使わなければならない理由がある

 手元にあるっていうだけで、あたしは深く考えずに注射を続けた。

 気持ち良くなりたくて射っていたんじゃない。

 覚醒剤を使う"正当な理由"は、ほかにいくらでもあった。

 覚醒剤を射つと、仕事が楽にこなせた。

 能率が上がるような気もした。

 長距離トラックの運転には、辛いところがふたつあった。

 ひとつは、単調な高速道路を睡魔と戦いながら走らなければならないこと。荷物の搬入時間の関係で、深夜とか早朝に走ることも多くて、そういうときにはウトウトとして、ヒヤリとすることが何度もあった。

 でも、覚醒剤を射ってハンドルを握れば、ギラギラしてきて眠気は吹っ飛ぶし、時間の経過を早く感じるから、退屈したり眠気を催したりする暇もなく、どこをどう走ったのか、いつの間にか目的地に着いていたりもした。

 時間調整もトラック運送の辛いところ。

 大量の荷物は置き場に困るので、倉庫業者は厳密な時間管理の下で、出入りをするたくさんのトラックに対応していた。

 だから搬入時間に遅刻するのもダメだけれど、早く着いても邪魔になるからダメで、たいていは遅刻しないよう早めに倉庫の近くに移動しておいて、周辺のサービスエリアや道路の路肩にトラックを停め、指定された搬入時間まで待機することになる。

 待ち時間は起きていても退屈でイライラするだけだし、帰りの運転や次の仕事のことを考えると、少しでも眠っておきたいもの。

 だから、多くの同業者はお酒をあおって、無理矢理にでも眠っていた。

 あたしはお酒に弱くて、飲めばすぐに眠れたけれど、そうすると逆に、指定の時間に起きて動くのが辛くなった。

 アルコールがいつまでも残ったから、飲酒運転になる恐さもあった。

 運転免許がなくなれば、あたしは失業する。

 だから、そんなときにも、あたしは覚醒剤を使った。

 どんなに長い待ち時間も、注射を射てば一瞬で過ぎた。

 働きづめでどんなに疲れていても、さらに一発注射をすれば、帰りの運転中には持て余すほどの元気がみなぎった。

ogura_140908.jpg

トラック運転手は睡魔との戦い(写真はイメージです)


(つづく)


取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/