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作家・出石大の思い出 第3回

極道社会におけるケジメのつけ方に、言葉が出なかった・・・

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 前項の最後、次回は出石大氏に実際に立ち会わせてもらった"危ない現場"を紹介する、と書いた。ただ、記者は別に出石さんにシャブの取引や、お得意の恐喝現場に連れて行かれたわけではない(当たり前だが)。

兄弟分とのヤバすぎる会話

「兄弟を紹介する」

 そういう「企画」を出してもらい、出石さんとともに、ある地方都市を訪ねたことがある。カメラマン、先輩ライターを伴っての泊まりの取材旅行だった。当時は今と違い、着いた先のコワモテの面々が、続々といかめしい名刺を切って来る。

「慶弔委員長」「風紀委員長」「渉外委員長」......一目瞭然で全員怖いのである。

 スーツを着た面々が出迎えてくれたのは、山深い道の脇に一軒立つスナックだった。中に入ると、おにぎりや山菜の汁がたっぷりと用意されているのだが、そこに女性は一人もいない。椀に汁をよそってくれたりするのは、すべて出石さんの兄弟を名乗る方の若い衆のようだ。

「府中大学の頃が懐かしいなぁ、兄弟」

「よう兄弟、もう一度、東京に血の雨ェ降らしてやろうや」

 思い出話(?)に花が咲き、とんでもない話をしている。いやいやいや、お歴々の会話は、ほとんどまんまVシネである。ここにはアウトロー流オモテナシのリップサービスも含まれているだろうし、交わされた会話のすべてを正面から真に受けたわけではない。それでも、楽しそうに語る彼らの姿は、今も網膜に焼き付いている。

 ちなみに府中大学とは言うまでもなく、府中刑務所のことだ。カタギやチンピラが逮捕されても、府中刑務所に落ちることはほとんどない。東の府中刑務所、西の大阪刑務所は、行政用語でいうところの「犯罪傾向の進んだ受刑者」、ひらたく言えば暴力団員がおもに収容されている刑務所なのだ。出石さんはよく自慢げに「俺は府中大学の卒業生だ」と吹聴したものだが、この兄弟の方も府中大学の同窓生のようだった。

その光景に全員が息を呑んだ

 とはいえ、この程度のことは、いわゆる実話誌の記者なら規模の大小はあれ、皆、一度は経験したものだろう。冒頭に書いた"危ない現場"がはじまったのは、このあとからだった。

 さてここで話を戻そう。招かれたスナックで供された地元の料理で腹がいっぱいになった我々は
写真撮影用にキープしていた、地元の大きな観光ホテルへと足を向けた。ホテルの大広間で、男たちがどんどんとフルヌードになっていく。

 ほとんど全員、全身にびっちりと刺青が入っている。今は亡き伝説の名人、麻布の提灯屋こと二代目彫芳の作品があったりして、彫りものマニアの記者としては至福の時間だったのだが、ある若い衆の背中の彫りものに、我々の視線は釘付けになってしまった。

 その若い衆の背中には彫りかけ状態で止まっている何かの筋彫り(アウトライン)が入っていたのだが、その上から大きな「×」が粗雑に彫られていたのだ。

 スタッフ全員がその背中を見て、息を呑んだ。

 金縛りになっている我々に気がついたのか、出石さんの兄弟の方が笑いながら言った。
「まぁあれはケジメです」

 彫りものやタトゥーを見るのが好きで、これまで写真や実物含め見事なシロモノを見た記憶は少なからずあるが、これほどまがまがしい彫りものを見た記憶はなかった。ある意味、指をつめろと言われたほうが、まだましだろう。この若い衆は、よほどトンデモない失敗をしでかしてしまったのだろう。

 黙ってその彫りものを見ていた出石さんがおもむろに口を開いた。
「これはあれかい兄弟、前の親分のところにいた頃に彫ってた筋彫りなのかい?」

 は?

 出石さんの兄弟分の方が大きく頷く。
「そうなんだよ兄弟。まぁそのうち、違うのをこの上から彫るくらいは許してやろうと思ってるけどな」

 どうもこの若い衆は、なんらかの事情で、どこかの組から出石さんの兄弟分の方の組に移籍してきたらしいのだ。たったその程度のことで、ここまでするのがヤクザなのである。

 背中に冷たい汗が流れ、しばらく止まらなかった。ビビってしまって、その「なんらかの事情」が何かを聞きそびれたのは一生の不覚だ。

 なぜなら出石さんはすでにこの世なく、兄弟分の方も現在、無期懲役の刑に服しているからだ。


(取材/文=李白虎)



出石ph01.jpg

かくいう出石さんには見事な一匹龍の彫りものが入っていた